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愛される画家になるための絵画教室

これから画家になりたい人必見!京都の日本画家・宮毬紗(絵画教室講師歴24年、一晴画廊オーナー)のネットで学べる絵画教室

「ヌードを描く私を妻や娘が冷たい目で見ます」問題は美術の裸体画の問題にリンクしている(2)

こんにちは。

宮毬紗です。

 

この記事の続きです。

miyamarisa.hatenablog.com

 

「視る」

「視られる」

 

誰かを視る。

誰かに視られる。

 

この「視る」「視られる」という関係は、権力関係を示すものでもあるのですよね。

 

ちょっと怖い話になりますが、監獄を例に出しますね。

一箇所からすべてが展望できるパノプティコンを参考にしてみましょう。

図版はこちら→パノプティコン - Wikipedia

 

看守が囚人を見張るために適した建築様式になっています。

建物の中心にいる看守が、周縁の囚人を監視しています。

 

このときには、視る人の立場が絶対的に上なのです。

 

囚人は「視られる」人です。

視られる立場になることで、力を剥奪されているのです。

 

ではもうひとつ。

神の図像と人間の「視る」「視られる」の関係を見てみましょう

 

イコンの中のキリストは、絵の鑑賞者と視線を合わさないように描かれています。

図像はこちら→イコン - Wikipedia

 

絵の前に立っても、神の図像とは、人は目が合うことはないんです。

 聖母マリア天使は、鑑賞者の方を向いていたとしてもです。

 

イエス・キリストは私たちを視ることはありません。

 

神は人間と視線を合わさないのです。

 

これはイコンを描くときの定型になっています。

「目を合わさない」という約束があることで、鑑賞する人も「これは神が描いてある」と分かりますね。

 

さて、例はこのくらいにして・・・

 

「視る」

「視られる」

 

誰が視られているのか。

誰が視ているのか。

 

このことを意識して絵画を鑑賞していくと、絵画の中の視線の行方をコントロールすることが、権力のプロパガンダに繋がっていることが見えてきます。

 

絵画の構図によって、誰が誰の支配下にあるか示せるのです。

もちろんそこには、その絵画を視ているあなたとの関係性も含まれます。

 

特にですね。

教会に描かれている絵画は、信者の教育のために使われていました。

プロパガンダの要素が強いのです。

 

 

・・・かなり専門的な話になりましたね(^ー^;)

 

ここらで、ヌードの話に戻りましょうね。

 

 

(1)で取り上げた絵画、<スザンナの水浴>を思い出してください。

miyamarisa.hatenablog.com

 

ここで絵画を取り巻く3者の関係を取り上げました。

 

絵画の中の「ヌードの女性」

絵画の中「ヌードを視る男性」

絵画の外にいる「ヌードの女性とヌードを盗み視る男性を視ている鑑賞者」

 

さて。

わかりやすくなるように、現実の問題に置き換えて考えてみましょう。

 

ヌードモデルは、

絵画の中の「ヌードの女性」です。

ヌードを描いている旦那さまは、

絵画の中「ヌードを視る男性」です。

 

画中では、スザンナの水浴を盗み見する中年男性として描かれています。

・・・ヌードデッサンは盗み見ではないのですが、まあ、あくまでも例えです。

 

「女性のヌードを描く夫を許せないんです」 と怒っている奥様は

「ヌードの女性とヌードを盗み視る男性を視ている鑑賞者」です。

 

男性を視ているので、鑑賞者の方が権力は上なんです。

絵の中では「盗み見」という犯罪を犯している男性を見ています。

 

視ることで、彼らが罰せられる立場であることを示しています。

 

この奥様の立場は、前出したパノプティコンの監修者にも置き換えられるのです。

 

この「視線のコントロールにより権力関係を示す」という意識は、明治時代からの西洋文化の輸入を通して、日本のメディアにも浸透しています。

 

視線の先に、何があるのか。

何へ視線を招かれているのか。

そこには、どういう意図があるのか。

 

特に西洋絵画には、何らかの意図が隠されています。

絵画は政治、宗教とも深く結びついていますから、何をプロパガンダしたかったのか、当時の歴史と共に読み解いていくと、さらに興味深い事実が分かったりします。

 

今回は、ちょっと難しかったですね(^。^;)

次回は楽しい記事を書く予定です。

 

ということで・・・

 

「女性のヌードを描く夫を許せないんです」

 

という妻のキツ〜い一言は、ある意味、夫婦の権力関係をよく表している気もします・・・。

 

 

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「ヌードを描く私を妻や娘が冷たい目で見ます」問題は美術の裸体画の問題にリンクしている(1)

こんにちは。

宮毬紗です。

 

ヌード関係の記事が人気ですね(^▽^;)

やはり、いろんな意味で興味がありますよね・・・。

 

大きく「ヌード」といっても、西洋、東洋で裸体の表現が違います。

同じアジアの中でも、裸体のどこに注目するか、国によって視点が違います。

表現が違ってきます。

西洋の裸体表現は、男性はアジアの裸体画では見られないほどマッチョですよね(笑)。

 

これからも、アートと裸体表現について、チョコチョコと書いていきますね。

 

 

さて、本題です。

 

私自身もヌードデッサンを描きます。

着衣を描くときに、服の中の肉体を意識するために。

 

腕を上げている人物を描くときは、肩がどんな形になっているのか、骨や筋肉の動き具合も想像しながら描きます。

 

それを正確に描かないと、骨グニャグニャな人が誕生します(笑)。

 人物を描く人は、ヌードデッサンを一度は勉強していたほうがいいですね。

 

 

ただですね・・・。

 

たまにですが、ヌードデッサンを学びたい、または学んでいる男性から、こんな嘆きの声を聞くのです。

 

「妻や娘が、私がヌードデッサンを描いていると、冷たい目をします」

 

「ヌードデッサン会に行くのが恥ずかしいです。裸を見に来たと思われるのが嫌です」

 

・・・そうですよね。

 

実は私も、男性のヌードデッサンを描くときは、ちょっと躊躇します。

男性のヌードを見るのが恥ずかしいというよりも・・・

 

普段隠されたものが白日に晒されている状況に、まずは戸惑います。

 

そして何より・・・

 

「男性の裸体を描いている女性を見ている男性の視線」意識してしまいます。

 

女性同士だと、なんてことないんですけど(^ー^;)

 

実はですね。

 

この「視られる」ことに躊躇する意識は、絵画の中の「視る」「視られる」という関係性の問題にリンクします。

 

ちょっと例を出しますね。

 

<スザンナの水浴>という絵画のテーマがあります。

www.museumanote.com

 

美しい若妻のスザンナが、邪な欲望を持つ男性に視姦されるという場面を描いた絵です。

絵の右上に老人たちが描かれていますね。

この2人が沐浴するスザンナを覗き見しています。

(詳しい話はこちらを参考にしてくださいね。スザンナ (ダニエル書) - Wikipedia

 

この絵では、

 

「ヌードの女性」「ヌードを盗み視る男性」の、2者の関係性が描いてあります。

 

<視る人><視られる人>ですね。

 

この絵の中で、「恥ずかしい」と羞恥を感じる状態なのは、ヌードの女性です。

 

裸を「盗み見られている」のですから。

 

ただですね。

 

ここで、絵の鑑賞者の視線が入ると、どうなるでしょう。

絵の前に立っている、あなたの視線です。

 

「ヌードの女性」

「ヌードを視る男性」

「ヌードの女性とヌードを盗み視る男性を視ている鑑賞者」

 

の関係性が生まれます。

 

ここで関係性に変化が起きました。 

 

これまでは「視る」だけの立場だった「ヌードを視る男性」が、いきなり「視られる」側になりますね。

 

視姦していた男性は、スザンナと同じ立場になりました。

いやいや、下手をするとスザンナよりも視られています。

 

「うわー、このオッサン恥ずかしい!!!」

「覗きしておるわ、サイテ〜やな」

 

・・・まあ、こんな声が上がると思います。

 

ここで新しい羞恥が生まれましたね。

鑑賞者によって、「ヌードを視る男性」が視姦していることを暴くことで生まれる羞恥です。

 

じつはこの図式。

 

「ヌードデッサンをしていることを、妻や娘に冷たい目で視られるお父さんの問題」と同じなのです。

 

私の問題もそうですね。

男性のヌードを視ている私を視る男性の存在によって羞恥が生まれています。

 

男性のヌードデッサンをしている「私」は、男性のヌードを「視ている」のが恥ずかしいという意識よりも、それを「視られている」ことに意識が向いています。

 

この「視る」「視られる」という関係性は、絵画の中で多く登場します。

(2)で触れていこうとおもいます。

もう少し、お付き合いくださいね。

 

 

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無理に売り込まなくていいんです

こんばんは。

宮毬紗です。

 

グループ展をする画家さんから、こんな悩みを聞きました。

 

「押せ押せで売り込める人が羨ましいです・・・私はあそこまで押し売り出来ません」

 

気持ちはよく分かります(*^。^*)

 

男性のお客様に、ちょっと強引な感じで作品を買ってもらう女性がいると、まだ自分が1点も売れていない場合は焦りますよね。

 

展覧会の最終日で、周りの作品に赤シールがついているのに、自分の作品にだけは何もついていないと、ほんっとに胃が痛くなると思います。

 

・・・でもですね。

 

その販売の方法がすべてではないんですよ。

売れている誰かの方法を取り入れなくていいのです。

 

 

画廊・ギャラリーのなかには、確定した情報かどうかも分からないのに、

 

「もう次に買いたくなっても、今の値段では買えませんよ」

 

などど、今すぐに買わないと損をするような設定で買い手を煽り、購買につなげるところもあります。

 

そうなればいいのですが、そうならないこともありますね。

私は一切言いません。

 

綺麗事に聞こえるかもしれませんが・・・

 

良い作品は無理に売り込まなくても売れます。

 

法外な値段がついていたら別ですが、適正な価格の良質な作品は、展覧会をしても真っ先に売れていきます。

 

そういう作品は展示している時から分かります。

作品が生きていて、光を放っている感じがします。

 

あなたがすべきことは、まずは良い作品を描くことです。

 

厳しい言い方ですが、いくらあなたが売り込み上手くなっても、しょ〜もない作品は売れません(^ー^;)

 

家に飾りたいと思わない作品は、売れないんです。

 

逆に言えばですよ。

 

押せ押せで売り込みをして、売れている作品は、黙っていても売れるか売れないか」のボーダーライン上にあるのです。

ちょっとばかり「売れる」の方へ、画家の人間的な魅力で押しているわけですね。

 

 

売り込みが下手だと嘆く前に、作品の魅力を増す努力をしましょう。

 

そのためには、押せ押せで売れた作品と、自分の売れなかった作品はどこが違うのかを、嫉妬心や劣等感を捨てて、よく観察してみてください。

 

色は?

構図は?

モチーフの種類は?

大きさは?

額装は?

タイトルは?

 

売れている作品は、なぜ売れたのでしょう。

なぜ人が欲しいと思ったのでしょう。

 

売れている絵を観察し続けると、人が欲しいと感じる絵の法則が見えてくると思います。

 

逆に、売れない絵も見ていくと、売れない理由も見えてきますよ。

「大きくて飾りにくい」とか「販売する季節に合わないモチーフ」だとか。

 

その違いが分かるようになったら、あなたの絵は必ず売れていきます。

 

無理に売り込まなくても大丈夫になる日が来ます。

めげないで、ファイト!(*^▽^*)

  

 

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