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愛される画家になるための絵画教室

これから画家になりたい人必見!京都の日本画家・宮毬紗(絵画教室講師歴24年、一晴画廊オーナー)のネットで学べる絵画教室

ヌードは見慣れていません(2)

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こんにちは。

宮毬紗です。

 

寒いです・・・。

日本画を描くには、最も適さない気候です。

 

日本画は、膠液(にかわえき)という、動物の骨や皮を炊いて抽出したコラーゲンを、接着材として利用します。

鹿ウサギなどが原材料です。

 

紙の上が冷たいと、絵の具を混ぜた膠液が、寒さによって画面の上でゼリー状に固まります。

 

こうなると、絵の具が定着しません。

私はストーブをガンガンに焚いて、なんとか描いていますが・・・。

 

今のように暖房設備のない平安時代なんかは、どうしていたのでしょうね。

 

絵巻物仏画も、現在の日本画と、ほぼ同じ技法で描かれています。

暖かい季節にしか制作していなかったのでしょうか。

 

なんてことを考えつつ、この記事の続きです。

miyamarisa.hatenablog.com

 

「絵画でヌードが描かれていたら、それは卑猥なものでもなく、エッチなものでもなく、芸術作品です」

 

その意識は「目の教育によって成立している」という話でした。

 

 

さて、今日の話題です。

 

私たちの目は、いろんなフィルターがかかっています。

 

教育されているのです。

 

あなたの目にかかっている、様々なフィルターを自覚できていますか?

 

私はまだ、色々とかかっています。

先日も、京都という地域性のフィルターを自覚できずに、相手の気持ちを誤解していたことがありました。

 

芸術においては、けっこう大規模で行われています。

たとえば、こんな感じで。

 

「公園にヌードの彫刻が設置されていても、それは芸術です。公共で猥褻なものを展示しているわけではありません」

 

市民図書館にヌードの彫刻が設置してあったら、それは「ブロンズで出来た裸の女の人」のではなく「芸術作品」なのです。

 

「裸の女性であっても、芸術作品として見てください」

 

そういうフィルターを、適時に自分たちの目にかけることを、私たちは学校の美術の時間に勉強します。

 

授業中に寝ていた人は、知りません(笑)。

 

さて。

ではそういう勉強をしていないと、どう見えるでしょう。

 

おそらく、これです。

 

「裸の女の人の像がある」

 

芸術作品ではありません。

裸の女の人の像です。

 

ではもうひつのパターン。

 

平安時代の人には、どう見えるでしょう。

 

「裸の女の人の像がある」

 

もしかしたら、仏像と間違えるかもしれませんね。

 

 

私たちは明治時代に輸入された西洋文化の文脈に沿った美術教育を受け入れています。

ですが、その土壌がない国の人たちからすれば、平安時代の人たちと同じような感覚を持って像を見ることになるでしょう。

 

よく考えてください。

 

あなたは西洋の文脈に沿った美術教育を受けました。

 

でもですね。

 

西洋文化の「ものの見方」が、すべてではないのです。

 

学校教育で、その見方を勉強したからといって、それをそのまま受け入れることはないのです。

 

ヌードを描いた作品は、エロスと完全に切り離しているとも、じつは言い切れないのです。

 

この話は、また詳しくしたいと思います。

私の専門なので(笑)。

 

この「私の目には、教育によるフィルターがかかっている」という意識を、初心者であっても、絵を見るときも、描くときも、持っていてほしいのです。

 

自分の目を、疑う姿勢を持ってください。

 

ものの見方に、正解はありません。

あなたが見ているものは、様々な見方ができる可能性があることを、忘れないでくださいね。

 

 

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