強烈に愛される画家になるための特別講座

結果を出せる画家になりたい人のためのテクニックが満載!画廊オーナーで京都の日本画家・宮毬紗(絵画教室講師歴24年)がファンから圧倒的に愛される戦略を教えます

絵が仕上がるとはどういうことか(2)

こんにちは。

宮毬紗です。

 

早速、飛ばしていきます。

非常に大事なテーマですからね。

 

では昨日の記事の続きです。

miyamarisa.hatenablog.com

 

 

「あなたにとっての『絵が仕上がった』と判断する基準を考えておいてくださいね」とお願いしました。

 

どうでしたか。

 

すぐに言語化できましたか?

 

もしかしたら、いくつかの答えが出てきたかもしれませんね。

 

真剣に考え出すと、こう感じ始める人が出るのではないかと想像していました。

 

 

「私が仕上がったと思っていても、落選したり、このままの絵では良くないと言われます。時間がたつと未完成の絵に見えてきて、再び手を入れたくなります。絵が仕上がるという意味が、よく分からなくなりました」

 

 

どうですか。

あなたの考えたことが、この中に入っていますか?

 

「私が仕上がったと思っていても」

 

この言葉は出てきたでしょうか。

 

それとも、まったく出てこなかったでしょうか。

 

出てこなかったから不正解ということではないのです。

これから説明していきますね。

 

まずですね。

 

問いかけには、「誰からの目線で」という前提が抜けています。

誰から見て、絵が仕上がったと言えるのか、その視点を書いていません。

 

なぜでしょう。

 

それは、それこそが「絵が仕上がるとはどういうことか」というテーマの核だからです。

 

 

あなたは、「描きたい」という能動的な気持ちがあるから、絵を描いていますよね。

 

描きたいテーマがあるはずです。

あなたの信条であったり、社会への問いかけです。

絵を通して「私はこれをあなたへ伝いたい」「私はこれを表現したい」という内容のことですね。

 

 絵を描くことで、表現したいものがある、人に伝えたいものがあり、それが画面の上に表現できたと自分で納得したとき、多くの人は「絵が仕上がった」と判断して、筆を置きます。

 

絵の完成です。

 

 

一方でですね。

 

別に描きたいものがあるわけではなく、誰から強制されて描いている場合もあるでしょう。

「誰か」は自分自身も入ります。

 

「間違って芸大入っちゃったけど、卒業しなければいけないから、仕方なく制作している」な状況もありますね。

 

画家になったあとで、そう感じることもあります。

制作には魅力を感じないけれど、やめようにも、やめられない。

 

想像するだけで、苦しい状況です。

 

でもですね。

 

この状態を経験したり想像してみると、「絵が仕上がっているという状態は、誰が決定するのか」という問題を理解しやすくなります。

 

 

こういう状態の人を責めているのではないですよ。

私は、真剣に絵で生きていこうと思う人なら、一度は陥る状況ではないかと感じています。

 

 

ではですね。

 

ここを切り口に、「絵が仕上がる」の意味を考えていきましょう。

 

 

「絵を描く」というのは、主体的な行為です。

  

どれほど嫌々に描いていようが、それは主体的な行為です。

描くということは、能動的な気持ちがないと出来ないことなのです。

 

厳密に、「絵を描かされる」ということは、非常に難しいのです。

 

なぜなら。

 

本当に描かされている状態になるということは、誰かに「もうやめていいよ」と許可をもらうまで、延々と、本人にとって無意味な形や色を描き続けている状態です。

 

そこには何も意志がなく、その絵の到達点も分からないので、誰かに許可してもらわないと、いつまでも仕上がることはありません。

 

もはや「描く」という行為とはかけ離れていますし、そんなことまでして描くことはないと私は思っています。

 

 

ただ。

 

これに近いことは、実はあります。

 

注文された絵を描くときでした。

 

「相手の望むモチーフで、相手の望むままの技法で描き、相手がオッケーを出してくれたら完成」

 

これを何回かやりました。

モチーフを決めるところから、もう描いている間ずっと、相手からの評価しか考えていないのです。

私は精神的に、ちょっとおかしくなりました・・・。

 

そして、こんなことになります。

 

自分の判断を手放しているので、「仕上がった」と他人が判断した絵が、良い絵なのか、つまらない絵なのか、分からなくなってきました。

 

非常に怖い状態です。

忘れたい記憶です。 

 

 

もう一方でですね。

 

「描かされた」と思って、自分では仕上がっているのかどうなのか判断がつかないで放置していた絵が、こんな風に変化して見えたりもします。

 

「意味もなく、目的もなく描いた混沌とした状況で描いた絵が、あとで見るとけっこうイケてて、絵画として成立してしまった」

 

描いたあとで、自分の評価が変わるのです。

周りからも「いいね、今までと違って」なんて褒められたり。

 

個展会場などで、よく似た例を見かけます。

本人は「失敗した」と思っているものが、周りからは案外と高評価な場合ですね。

 

 

さてさて。

 

ここまで事例を書いてきましたが、「この絵は仕上がっている」と判断するとき、2つの視点があるということに気がつきましたか?

 

 

1、自分で描きたいテーマがあり、それを表現できたと納得したとき。

 

2、その絵が絵画として評価されると判断したとき。

 

 

1は自分の納得感が主体となっています。

2は他人の評価が主体になっていますね。

 

 

誰の視点で「絵が仕上がっている」と考えるのか。

視点をどこに置くかで違ってくることに気がついたでしょうか?

 

この違いを、よく考えてみてください。

自分はどちらを主にして、絵を描いているのか。

 

これがハッキリ分かっていないと、絵を外へ出したときに、あなたの描く心が、次第にブレていく原因となる可能性があります。

 

 

この話は、まだ続きます。

また明日の夜、書きますね。

 

 

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